ラストチャンス!鯖ずしにかけた夢
~53歳主婦の挑戦~
エピローグ
だんだんと疲れを覚えはじめた私の健康上の問題もあった。
どこにでもいる平凡な主婦として暮らしていた。
夫と2人、半分に分けて食べながら・・・
ずっとずっと家族のために働いて来たんやし。」
ちょっと出かけようと思えば出かけられる良さもあり
当時は、夫と二人、あっちこっちと食べ歩いていた。
鯖寿司も私の故郷にある有名店の物を買ってきたりして食べていた。
しかし、高級なプロのおいしさはあっても
父母の作っていたような素朴で優しい鯖寿司に出会うことはなかった。
そんな時、夫が
「お前が自分で作ったらどうやねん。そんなもん出来るんとちゃうか?」
その一言が大きな決め手となって父母の味を今に再現すべく
来る日も来る日も鯖寿司作りに格闘する日々が続くこととなった。
(※結婚をして20数年にもなるのに不思議と今まで鯖寿司を作ることはなかった。)
「そんなもん簡単やんか。すぐに作ってあげる。待っとってや。」
自分たちが食しているお米と魚屋さんで
鯖寿司に出来る上物の鯖を3枚に下ろしてもらい、
純米酢を買ってきて思い出し、考え出し故郷の姉に聞き、
本を調べ、1番最初に出来たものは・・・
夫と息子、姑が揃って
「メチャクチャ不味い。こんなん食べられるか!」
だった・・・。
自分でも上手く作れたはずが、不味くて内心可笑しかった。
それは知りえる全てをもって、一生懸命作ったことに変わりはなかったのに・・・。
「お前、酢飯は酢が足りないのとちゃうか?
鯖の漬け置き時間は長いんとちがうか?
酢が足りない言うて入れすぎたんとちがうか?すっぱ過ぎるぞ!」
と私の作業を覗いては、ああだこうだと横から小うるさいアドバイスをする夫。
それではと酢と砂糖、塩の分量を変え、
漬け置き時間を短くし・・・それでも上手くいかない。
「なんでやの?たかが鯖寿司ごときで・・・。
分らんわ。あぁもう止めようや。あほらしなった・・・。」
と作らないでいると
「お前なぁ、鯖寿司どないなったんや。作っとんのか?
止めたんか?すぐに作ったるなどと偉そうに言っておいて何やねん。」
のらりくらり、鯖寿司作りがどうでも良くなった私に、はっぱをかける夫。
『あぁぁ~~もううるさいなぁ。イチイチ男が!少し黙っといて!!』
今になって思えば夫のこの小言のプレッシャーが
どれほど私のためになったかと思わされるとただ可笑しくなる。
「すぐに忘れるんやからメモ!メモ!メモ!
分量はどれくらい。
漬け置き時間はどれくらい。
何もかも全部逐一メモしとけ!
どれがベストかやり直せ!」
と夫の指示が飛ぶ。
しかし、作っても作っても素朴な父母の味が出せない。
けれど山育ちで魚を捌いたことがほとんど無かった私にとって、
一番の苦手であった鯖の捌き。
これだけは、回数の分、上手くなった。
▲鯖の捌き方を練習していた頃
私は、試行錯誤するにつれ、だんだんと行き詰まりを覚えてきた。
そんな時、腹立ち紛れに、ふと
『今の食生活はどないやねん?』
という食生活そのものを振り返ると、
添加物、防腐剤、化学調味料・・・
本当にこれで良いのだろうかという疑問と不安が湧き上がってきた。
こんな食生活で本当に健康につながって行くのだろうか?
大量生産と便利さ云々の中で失われて行くものの大きさを思うと
本当にゾ~とさせられる。
これから育って行く子供たちのためにも
食は今こそもっと見直されなければならない。
これは長年、産婦人科の看護婦として
人の命の大切さを見知って来た私は
人が生きる上でもっとも大切な食。
そのことについて現役時代からずっとうれいてきた。
『なぜ出来ない?くそっ!!』と思い悩む日々が、
素材そのもののよさ、旬を大切にし、
食の安全と人の健康につながる食べ物としなければならない。
という私の原点であり強い強いこだわりを持っていることに気づかせてくれた。
そもそも、今と昔では食材に大きな違いがある。
お米はブレンド米。
100%コシヒカリと言っても実際は分からないのが実情・・・。
先ず私は、昔に食べた様な冷めても美味しい
もちもちとして甘みのある、何もおかずがなくても食べられる。
そんなお米を探すことにした。
幸い故郷に姉がおり、お米は時々譲ってもらっていたが、
ご飯には、最高でも、酢飯にするとべちゃつき感が出て
鯖寿司には合わなかった。
ならどうする?
やはりお米は私の故郷である丹波米。
『よし!ここは一つ農家を尋ねて見てみよう!』
友人、知人にも頼んでみながら、個別に探し回った。
今作っていただいている契約農家さんにめぐり合うまで
私の故郷で在るにも関わらず実に半年以上も掛かることとなった。
それはそうだ。
安定的に取ってくれるかどうか分からない先で、
かつ必要に応じて出して欲しいという
今考えれば無茶な要求だったのだから。
それでも農家方の家族が食べるための
安全にこだわった美味しい丹波篠山のコシヒカリ100%のお米を
提供してくれる先が見つかったことに感謝している。
次はお水。
昔、父と母と暮らした家では
併設された井戸からの水を使っての生活だった。
当然、お米はその井戸の水を使っていた。
私は出来る限りその環境を再現するために
各地の名水を夫と2人尋ねて回った。
あそこに自然の水があると聞けばそこにポリ容器を持って水を汲みに行き、
こちらの水がよいと聞けばそこに行き、
全国の名水の本を買っては、その場所に行き、
丹波米に一番合うお水を探し回った。
寒い寒い冬の夜。
ポットに温かいコーヒーを入れてお水を汲みに行った日のことは、
今ではとても懐かしい。
鯖は、一番電車に乗ってまだ真っ暗な中、
姑と一緒に各市場を探し回り、
ときには日本海まで出向いて、
脂の乗ったぽってりとした国内産の生き生きとした鯖らしい鯖を探し求めた。
最終的には、玄界灘でとれる長崎産の若くて生きの良い、
鯖の味がしっかりと味わえる鯖に行き着くことが出来た。
寿司酢は、数あるものの中から、
これまた丹波米と水とに合うものでなければならず、
鯖にとって一番ふさわしい漬け置き用の酢と・・・
砂糖の分量、塩の分量。
鯖のあの生臭さを消すための工夫と・・・。
変えてはメモし、変えてはメモしと・・・。
その間も相変わらずの夫のうるさいアドバイスは続く・・・。
それに自然の素材だけで安全と健康を願う私の気持ちも
味に出るようにと試行錯誤を重ねに重ね気が付けば約1年。
やっと、「これならば!」と思える鯖寿司が作れるようになった。
自分が食べて美味しいと思えるものは、
他人が食べても美味しくなければ嘘だと思い、
代わる代わる作った鯖寿司をご近所の方にあげて食べてもらい
感想を聞いてみた。
「おいしかったよ。」と言って下さる近所の方に
「どれくらい?どの様に?」などと私はしつこく聞いて回った。
深く味を追求した感想は中々聞けなかったけれど、
そこには努力した分だけの自信が生まれていた。
『自分の家族が喜んでくれる満足のゆく物が作られればそれで良い!』
はずだった・・・
が、また小うるさい夫が
「お前これ行けるんとちがうか?いずれは何か商売がしてみたいと言うてたんやから、
これを商売にしたらええがな。お前のラストチャンスやで。」と言う。
またもや、この言葉がきっかけとなって、
まるで経験のない営業をする羽目になった。
「まずゴルフ場に行ったらどうや?」
と言ったのも夫。
なるほど我が家の周りには
ゴルフ場が大小合わせると6箇所もあるではないか。
息子の運転する車で自宅から一番近い、大きなゴルフ場へ
試食用の鯖寿司を持って約束もなしの飛び込み営業に行く。
最初にして初めてのこととあり、
どのようにすれば良いのかも分からず、
しかも名刺もない。
受付に行ったのは良いけれど、
思い切って食堂係りの方を呼んでいただき、
なんと幸運なことに面談していただけることとなった。
面談してくださったのは、食堂課長と主任さんで、
2人とも温厚で優しく人柄のよさが前面に出ているような人だった。
「近くの主婦の手作りですが・・・もちろん無添加で・・・
お客様に出してみては下さらないでしょうか?」
その日のタイミングがよかったのか、
それともお母さんの手作りが気に入ってくださったのか
「コンペの時のパーティーに出してみましょう。」とすんなりと受け入れてくださった。
この2人との出会いがなかったら私は、今とは違っていたことだと思う。
私の鯖寿司のデビューは、ゴルフ場からとなった。
少なくともお客様にお出しするものとなると
保健所の免許も必要となり、すぐにその手続きをする。
しかれば作業場も必要となり、もろもろ忙しくなるが、
気持ちはいつ注文が来るのかとワクワクしていた。
初めての注文は1週間ほど経ってからだった。
予想外に16本もの注文。一回に作る量としては初めての量。
量が多いと勝手も違う。
仕入れから仕込み、仕上げ、初体験も多かったが
とにかく一生懸命心を込めて取り組んだ。
無事に納品し、コンペの時に出してくださった。
とにかく気になるのはお客様の評価。
食堂の課長さんから
「今村さん。大好評でしたよ。喜んでいただきました。」
という連絡を頂いた。
本当に嬉しかった。
最初の注文をいただいてから始まった今までにない緊張感。
強いはずの私の胃は、きりきりと痛み、夜は安心してゆっくり眠れず。
それもこの言葉を聞いてやっと解消された。
しかし、この緊張感は程度の差はあれど今もしっかり続いている。
初めての営業経験にもかかわらず、
あまりに早く、あまりに快く、私の鯖寿司が受け入れられた。
そのため、他のところにも上手くいくのでは?と
淡い期待が自然と私の中で広がって行った。
しかし、この後、鯖寿司の営業は、
心をズタズタにされる結果となるのである。
車の運転の出来ない私は、夫の仕事の合間を、
夫が運転する車で試食用の鯖寿司を持って
一つ一つ近辺のゴルフ場周りをした。
あるところでは、「この不況に鯖寿司は取れません。」と言われ、
「自社で作っていますから結構です。」と言われ、
所によると「あんた誰?」と受付の方にあからさまに見下され、
係りの人に会うまでもなく断られ、
珍しく試食して貰っても「うーん。美味しいですなぁ~。」と言ってくださった上で
「けれどウチではね~。生ものだしねぇ~。」と断られる。
はたまた、信じられないような価格でなら
お土産に置いてあげますよと言われる始末だった。
流石にこの時は、信念をもって無添加でこだわり抜いて作った大事な鯖寿司を
そんな値でなど出せないと悲しくなった。
断られ続けて行く度に、
何故かふつふつとする気持ちが湧き上がり強くなっていく自分。
何度も営業をすればコツも分ってくる。
「こういう事がお前のためになるんや。全てよい勉強や。
あせらんでもええ。ゆっくり、しっかりやれ。」
とこの時ばかりは、特別に優しく励ましてくれた夫。
ふと車窓から外を見るとのどかで美しいゴルフ場への道。
なんとも心安らいで年数を経た夫婦の情念をしみじみと味わった。
次なるところは、数あるスーパー、百貨店、電鉄会社。
思いつくありとあらゆる所へ営業へ出かけた。
しかし、その何処もが、
「たったそれだけの本数しか作れないのではねぇ・・・。」
※手伝ってくれるのは、姑と長男の妻。
女3代協力して作っても1日50本が限度だった。
「美味しいし、売れる商品だとは思いますが・・・。まず実績もありませんしねぇ。」
と断られ続けた。
そんな中でたった1箇所。
義妹の紹介であった商店さんが
「土・日だけ20本ほど置いて見ましょう。」と
鯖寿司を置いてくださる事となった。
販売の初日、
「買って帰られたお客様が食べられて美味しかったからと言って
すぐに自転車を飛ばしてまた買いにこられた。」
と商店さんから連絡があり、
無事に完売したということで喜んでもらうことができた。
『やはり私の鯖寿司は、お客様に喜んでいただくことが出来る。』
『置いて頂ければお店にも喜んでいただける。』
『確かに1~2度の営業ですんなり行くとはもう思ってなかったけれど、
ある程度まで話が進んでおきながら駄目になるのは
一体何が原因なのだろう・・・。』
悶々としながら考える日々。
お客様に喜んでいただけるだけに販売する場所がないという悔しさは、
バネとなり他の販売方法へと目を向けるチャンスともなった。
「これは委託販売ではあかん。」
「お客様の顔の見られる自分でする対面販売しかあらへん!」
私と夫は同じ考えに至ったのだった。
では、お店が欲しい。
この願いを叶えるべく、またお店探しに奔走する日々が続く。
ありとあらゆる所に声をかけ、見て周り
、知人友人にもお願いしていたところ、
ひょんなことで姑の友人の紹介によって、
ちょうど阪神大震災で家が壊れ更地となっていた
宝塚の清荒神の参道にある土地の一部が借りられることになった。
そこにプレハブを組み立て、
棚、ヒサシ、細々としたものは器用な夫が全て手作りで。
一坪にも満たないような小さな小さなお店を出店させた。
ちょうど「鯖寿司をお前が売ったらええねん。」と言われた日から
1年半が過ぎていた。
「鯖寿司を作る場所はあるんやから販売するだけの場所があったらええのや。
大きくて立派な店だけが店ではないやろう。
自分に見合った小さいながらも真心を添えてお客様と直に接しられる場所があれば
それは素晴らしい店や。」夫はそう言った。
「お前な。誰もが不況のどん底であえいでいる時代に
店を上手くやっていけたらほんまもんやで。」
お店をオープンさせるときに夫が言った言葉。
ほんまもんが何を意味するのかは、今もわからないけれど、
時に的を得た夫の言葉をどれほど大切にしてきたことだろうか。
今こうしてお店を持って夢を持って毎日を過ごせていることに心から感謝している。
今、この時を大切にして生きて生きたい。
「今、この時」と「旬の食材の旬を生かしたい」
それを願ってつけた旬(いまどき)という屋号。
旬(いまどき)は、多くのお客様に愛されて
2016年には新しい店舗を持つに至った。
自宅で始めたランチも紆余曲折はあったけれど
今ではお客様に愛されている。
これまで良いことも悪いことも。
本当に色々なことがあった。
でも多くの方々に支えられ、今もこうしてお店があって、
尋ねて来て下さるお客様がいる。
夫と二人、営業に回り、断られ続けたことが嘘のよう。
小さく小さく始まった私の夢は20年の歳月が流れ、
子から孫へと世代を超えて続いて行くことになりそうだ。
私にとってそれはまるで母なる海を泳ぎまわる鯖の美しい姿ように感じる。
それはまた大地を生きる私の夢でもあるように。
そんな夢を下さった皆様。
本当にありがとう。
毎度おおきに!
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